さらに、その安土城の中を、よく一般公開していたというのですから、驚きです。当時の「城」というものは、今でいう軍の総本部のようなところです。 軍事機密事項満載のところです。それを「さあさあ、皆の衆、どうぞどうぞ」と招き入れ、見せていたというのですから驚きです。 しかし、城に入った人達は、さらなる驚きに包まれたのでした。信長の宗教的な考え方として、こういうものがあります。 「御利益のない神に祈るぐらいなら、自分を拝め」というもの。その方がよほど御利益がある、と言いたいわけです。 ですから、なんと安土城の中に寺を作り、自分のご神体を奉ったというのですから驚きです。 とにかく、やることなす事がすべてキテレツ。当時の領民や家来たちはどんな思いでこれらを受け止めていたのでしょう。 冷静な人物なら「マジか……尾張、ヤバクない!
  1. 『信長の野望』は歴史知識を上げる? 義光の「顔グラ&能力値」変遷に注目 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 2ページ

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あわせて読みたい 織田信長の先祖って忌部氏?それとも桓武平氏? 先日調べ物をしていたら『織田氏は先祖は平氏ではなく、真のルーツは忌部氏』という記事に出くわしました。確かに織田信長のルーツは忌部氏!でも、忌部氏だからこそ、平氏を名乗るんです…。そんな話に興味のある方は、ぜひご一読ください! 織田信長の旗ってどんなの?家紋と違うの?信長の旗印の意味について この記事を書いた人 バリ島と日本で会社経営。脱サラ後30万円とPC1台を抱えバリ島へ→貧乏マーケター→美容&雑貨の貿易会社pun設立→日本で化粧品販売会社『ピュアノーブル』設立、オーガニック化粧品ブランド『マザーウッドシリーズ』立ち上げ◀️今ココ◇趣味はバイクと筋トレ。お酒とお笑い番組と映画をこよなく愛します。 起業/経営/バリ島/筋トレ/ラーメン/グルメ/日本酒/読書/歴史/バイク/猫 関連記事

2018/12/1 織田信長のゆかりの地(城・お墓) 戦国時代の名古屋にゆかりがあり天下統一に動いた人物に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑があげられ、さまざまな資料が残されています。 これまでに映画やドラマで複数の俳優が複数の作品で演じられていますが、織田信長の生まれた年はともかく、生まれた場所については確定されておらず、長年注目を集めています。 織田信長の生まれた年は1534年の5月から6月頃とされ、織田信秀と土田御前との間に嫡男として生まれていて、生まれた場所については那古野城が通説となっていますが、他の場所の可能性も指摘されています。 織田信長の生まれた場所の諸説について紹介します。 織田信長生まれた年は? 織田信長が生まれた年から家督を継いだ時点での尾張国内には複数の勢力があり、織田家領地の北には斎藤道三、東には今川家があり、運命とはいえ良い年回りとはいえません。 また、生まれた日については明確にされておらず、今のところ6月ごろとされています。 名古屋城内にある那古野城跡の立て札には、織田信秀が今川氏から奪い居城とした年は1538年とされ、名古屋城の公式サイトには1532年と記述されています。 これらにある年は、織田信長が生まれた年の前後となり、生まれた場所が通説とは違う可能性を秘めており、これまで論争が続いています。 織田信長が生まれた場所には? 織田信長が生まれた場所には、これまで名古屋城内にある那古野城とされていますが、もう一つの候補地として勝幡城があり、那古野城から約15キロほど離れた安西市と稲沢市にまたがる場所にあります。 勝幡城は、織田信長の祖父織田信定が築城した城であり、言継卿記に織田信長が生まれた場所として記述があり、論争の根拠となっています。 織田信長が生まれた場所の論争を解き明かす資料として、尾州古城志に「1534年に勝幡城で織田信長が生まれた」と明記され、これまでの通説が崩される資料として注目されています。 これにより、安西市にとっては町おこしの起爆剤として利用が期待され、今後の織田信長に関する研究にも期待が持たれています。 織田信長の生まれた年と生まれた場所の論争 織田信長が生まれた年は1534年とされ、その日付については生まれた場所と同様に諸説があります。 これまで、織田信長が生まれた場所は、名古屋城内にある那古野城が通説でしたが、言継卿記の記述により、勝幡城が誕生地である可能性が強くなり、今後の研究が期待され、地元では町おこしの起爆剤として期待が持たれています。

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