2017. 12. 25 | CATEGORY: THIS WEEK COLUMN みなさんは医療従事者の方に対して、どんなイメージを持っていらっしゃいますか? 私たちが医療従事者の方と話をするのは、病院の中がほとんど。ましてやその方がどんな方なのか、その人となりや思いを知る機会は、あまりありません。 ましてや、MSFで働く医療従事者の活動地域は、難民キャンプや紛争地など。目を背けたくなるような厳しく辛い状況で活動する彼ら・彼女たちは、いったいどんな人たちなのか。 せっかくコラボするのであれば、世界中で医療援助を行っているMSFの人たちのことをもっと知りたい!と、インタビューを実施してきました。 インタビューに参加してくださったのは、この3名の方々です! 左)榊原英朗(さかきばら・ひであき) 薬剤師 2014年よりMSF参加。南スーダン、パキスタン、ネパールのプロジェクトに派遣。 中)大谷敬子(おおたに・けいこ) 看護師 1999年よりMSF参加。ウガンダ、イラク、南スーダン、トルコ他、10ヵ国以上に渡りプロジェクト経験あり。 右)都築正宏(つづき・まさひろ) 建築士 2014年よりMSF参加。パプアニューギニアのプロジェクトに派遣。 関わったプロジェクトで感じた「自分の無力さ」 ──本日はよろしくお願いいたします! まずは、それぞれが関わっていらしたプロジェクトについてお聞かせください! (薬剤師の榊原さん) 榊原: 2014年からMSFの活動に薬剤師として参加しています。今までにプロジェクトで行った国の一つに、南スーダンがありました。2013年12月にクーデターが起き、たくさんの難民の方がキャンプで暮らしていました。 私はその難民キャンプへ派遣されたのですが、まずそのキャンプのスケールに圧倒されました。その当時、難民キャンプで暮らす人が約4万人。もちろん、生まれて初めて見た難民キャンプだったので、「どうやって助けたらいいのか?」と自分の無力さを感じたのが最初でした。 (南スーダンでの難民キャンプの様子 © MSF) ──そこでは、具体的にどんなことをされていらっしゃったのでしょうか? 国境なき医師団への参加とスタッフの安全管理【国境なき医師団】 - YouTube. 私が派遣されたのはクーデターが起きて2ヵ月後。現地にはテントしかない状況でした。そこに診療所を作って、毎日250〜300名の方の診察に対応していく必要がありました。 日本で薬剤師として働く場合、通常は勤務先の病院で調剤をして渡す、というのがメインの業務なのですが、MSFの現地では薬剤を中心とする倉庫のマネジメントが中心的な役割でした。 診療所の倉庫にある物品の管理、薬の品質管理も仕事です。特にワクチンは冷蔵する必要があるので、コンテナのクーラーの温度管理もしていました。はしか等のワクチンは2〜8度で保管しなくてはいけないんですが、クーラーがよく壊れるんですよ。発電機が壊れたりもしましたね。 (南スーダンで活動していた時の倉庫の様子 © MSF) 「デカい虫」との戦いを乗り越えて (看護師の大谷さん) ──それは日本では出来ない体験ですね。大谷さんはいかがでしたか?

国境なき医師団への参加とスタッフの安全管理【国境なき医師団】 - Youtube

大谷: 私は1999年7月からおよそ11のプロジェクトに看護師として携わってきました。難民への医療支援、栄養状態の改善、予防接種のキャンペーン(地域の人びとを対象に大規模に予防接種を行うこと)などです。南スーダンのプロジェクトでは薬剤師の榊原さんと一緒でした。 ──そうなんですね!南スーダンは厳しい現場だったと思いますが、印象に残っていることはありますか? 南スーダンは、生活環境がそれまで行ったMSF活動地の中でも特に厳しかったです。 ですね。雨季でもあったので、暑いのはもちろんなんですが、粘土質の土だったので歩くだけで足が重くなってくるし、クリニックの中もすぐに泥だらけに。衛生環境を保たなくてはいけないので、1日中ひっきりなしに来る患者さんへの対応とあわせて掃除するのが大変でした。 (南スーダンの悪路を走るMSFの四駆 © MSF) あとは虫!しかも超デカイんです。宿舎の中がコオロギだらけになるし。夜はパソコンの画面が虫だらけ。現地に6ヶ月もいたので、最後の方は虫の種類の見分けが出来るようになりましたけどね。 一同:(笑) (夜に網戸に張り付く虫たち@南スーダン © MSF) 医療だけでない「重要な役割」を果たすプロフェッショナルも (建築士の都築さん) ──都築さんはいかがですか? 都築: 2015年にパプアニューギニアで結核病棟、薬剤倉庫、スタッフ住居の設営に携わりました。 ──都築さんは医療従事者じゃないんですよね? はい違います。私は建築士で、日本では1級建築士の資格を持っています。MSFのスタッフには、私のような建築士の他、車両の手配や物品の調達、財務管理をするロジスティクス部門の専門家もチームに加わって活動しています。 ──パプアニューギニアではどんな大変なことがありましたか? 建築に必要な資材は現地調達します。日本であれば普通、木材って変形しないように乾燥させてから切断します。ただ、現地では湿ったままカットした木材だったので、図面通りに組んでみると、その間に木材が変形してしまって。実際に建ててみると、天井が合わないなんてことも。 ──それは大変そうですね。。。! 現地で図面を引いて、現地で調達して、というやり方だったので本当に苦労しましたね。 (パプアニューギニアにいた時の都築さん © MSF) どんなに厳しい状況でも「最後まで逃げない」のが国境なき医師団の凄さ ──みなさんが思うMSFのここが凄い!と思うポイントを教えてください!

医療チームとロジスティックの両輪で乗り越えた危機:長嶺 亜香利 ポジション 薬剤師 派遣国 南スーダン 活動地域 オールド・ファンガク、イダ/ヌバ 派遣期間 2018年3~9月 なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか? はじめは、ただ英語で働く環境に身を置いてみたい(あわよくば薬剤師として働けたらラッキー)という考えが強く、特別NGOやMSFに興味があったわけではありませんでした。 ただ、応募前にMSFについて調べるにつれて活動内容の素晴らしさを知り、将来に必ずプラスになると思ったこと、文化や環境の垣根を超えて1人の医療者として何か貢献したいと思ったことから参加を決意しました。 派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか? MSF登録後は語学力向上のため、毎週末、英語を数時間勉強していました。派遣先が決まってからは、事前にシェアされた資料を読み、その時点で理解できることはしっかり頭に入れて活動に向かいました。 前職の勤務期間終了から出発まで2週間ほど空いたので、友人と会ったり、おいしいものをたくさん食べたり、とにかく楽しく過ごしました。 今までどのような仕事をしてきましたか?また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか? 大学卒業後、病院薬剤師として総合病院で3年間働きました。病院の方針で、薬剤師も臨床に近い現場で働き、シリンジポンプといった医療器具の使い方や基本的な病態などの知識を得ました。また、医師や看護師とのコミュニケーションも多くあったため、活動地でも他職種と関わることやチームで働くことへの抵抗はありませんでした。 今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか? 薬局チームと © MSF 3月末~5月中旬は、ボートでしかアクセスできないオールド・ファンガクという地域で働きました。外科プロジェクトが立ち上がったばかりの時期で、銃創例や帝王切開といった外科症例も運ばれてきました。日本とは比較ができないほど過酷な衛生環境のため、日本では術後に普段使わないような抗菌薬も感染コントロールのため併用していました。 薬局は小さなテントでスペースが限られ、首都ジュバから必要最低限の医療物資を毎週輸送してもらっていました。薬局内の在庫や過去の消費量、患者数の推移などから分析して優先順位を付け、さらに総重量を考慮して発注するのですが、雨の影響で飛行機が着陸出来ない事もしばしば。その都度、代替薬などを医療チームのメンバーらと一緒に考えました。 マラリアのピーク時には休日出勤したことも © MSF その後イダ/ヌバという、国境をまたぐ2つの活動地をまとめたプロジェクトに移り、5月下旬から9月末まで働きました。イダとヌバの間は車で3時間、雨期で道路の状態が悪いと6時間ほどかかりました。このプロジェクトでは、イダにあるメインの薬局と、1.

Sitemap | xingcai138.com, 2024

[email protected]