すぅ: サウンドがポップなので、歌詞は普通のかわいらしいキュンとした感じにしたくなかったんです。デビュー当時の「Sweet Pop!」よりも、大人になった魅惑的な女性をイメージして、刺激的な内容や解釈によってはセクシーな部分もあります。 ――ライブで楽しめそうな曲ですね。 すぅ: 振り付けもあるし、コール&レスポンスも曲自体に入っているので、まさにライブを意識して作った曲になっています。年末の東京体育館でのライブでも、すごい一体感があって、これからライブで化けていく曲になるんじゃないかと楽しみです。 ▲すぅ(吉田菫/Vo&Gt. ) ▲ひなんちゅ(梅村妃奈子/Dr. ) サイサイへの参加 それぞれの覚悟! ――ここから、メンバーおひとりずつのサイサイ以前のお話ついてもうかがっていきます。そもそもみなさん、音楽を始めたきっかけ、サイサイに加わった経緯は? あいにゃん: 私は兄の影響で高校のとき、ベースを始めたんです。兄のバンドを見にライブハウスに行って、そのときに「この心臓に来る低音は何だ!? 」って。CDの音源では感じられない魅力を感じて、ベースがやりたくて地元でコピーバンドを組みました。 ――どんなバンドをコピーしてたんですか? SILENT SIREN、バンド結成10周年記念アルバム『mix10th』よりひなんちゅ(Dr)作詞の「mate」MV公開. あいにゃん: ACIDMANのサトマ(佐藤雅俊)さんのベースが好きで、それからGO!GO!7188、チャットモンチーとかもやっていました。でも、そのころは音楽が仕事になるなんて1ミリも思ってなかったし、どうやってなれるのかも知らなかったんです。 ――そこからどんな転機が? あいにゃん: 大学3年の就活の時期に、同じカフェのバイトでひなに出会って、そこでバンドに誘ってもらって「やりたいな」って思ったんです。そのころは、とりあえずみんなで集まって「ライブやりたいね」って感じで…。 ――そこから本格的にバンドとして活動しはじめ… あいにゃん: 「ライブしたい!」という気持ちだったのが、実際にライブをしたら「もっとうまくなりたい!」って向上心が芽生えて。でも最初、事務所に入るか入らないかってところで、すごく抵抗したんですよ。信用できなくて(笑)。でも話を聞いて「やってみよう」って思えて、そこからみんなでデビューを目指して意識してやるようになりました。 ――ゆかるんさんは、他のメンバーと違い、メジャーデビューの際にサイサイに加わったんですよね? ゆかるん: 私は子どものころ、姉の影響でクラシックピアノをやってたんですけど、それもせいぜい2~3年で、その後は家にピアノがあったのをときどき弾くくらいだったんです。ずっとスポーツに打ち込んでて…。 ――それがどうしてサイサイに?

  1. SILENT SIREN、バンド結成10周年記念アルバム『mix10th』よりひなんちゅ(Dr)作詞の「mate」MV公開

Silent Siren、バンド結成10周年記念アルバム『Mix10Th』よりひなんちゅ(Dr)作詞の「Mate」Mv公開

すぅ: ライブハウスでパンクバンドと対バンした時に全然お客さんがノッてくれなかったり、そもそもお客さんがいなかったりとか。普通に300人が来てくれた環境から、3〜4人とかになって。バンドだけで戦うとお客さんが集まってくれないんだって目の当たりにしてショックでした。 ひなんちゅ: 読者モデルは本当にいい経験で、だからこそ集客できていたときもあったけど、同時にバイアスみたいなのはあったと思います。 ライブで自分たちがハードな曲をやってるつもりでも、「可愛かった」っていう感想が多くて悩みました。可愛いと思われたくてやってるんじゃないんだけどなって。 ゆかるん すぅ: このままだとバカにされたままだ!って。 あいにゃん: かなり試行錯誤して、バレンタインにチョコ作ってお客さんにプレゼントしたり、原宿の旧GAP前で。ビラ配ったりもしました。 ――読モやってたら、原宿って聖地じゃないんですか?

(笑) すぅ: これに賭けてみようって思いました。それまでヘラヘラ生きてきたけど… ひなんちゅ: 運命だなって思った? すぅ: 運命だと思ったよ! ひなんちゅ: 結婚するんだなぁって? すぅ: 結婚するってこんな感じなんだなって思ったよ、ホントに。ひなも「なんとかなるっしょ」ってノリだったし、「うちらならイケるっしょ?」って感覚だったんです、私も。好きな音楽もバッチリ合ったし、やっぱりこれだー!! って(笑)。 あいにゃん: ここ太文字でお願いします(笑)。 すぅ:これだーっ!! (笑) ――ひなんちゅさんがドラムを始めたきっかけは? そもそもドラムって始めるのにハードル高そうですけど…。 ひなんちゅ: 親の仕事の関係でインドネシアで育ったんですが、中学の音楽室にピアノがなくてドラムがあったんです(笑)。教室で女子同士で群れるのが好きじゃなくて、ひとりでいたくて音楽室でドラムをたたいていました。それからバンドをやりたくなって、日本に帰国するときに軽音部のある高校しか受けず、そこでバンドを組みました。 ――中心になってサイサイのメンバーを集めたのはひなんちゅさんですが、最初からプロを目指そうと? ひなんちゅ: そう思ってたわけじゃないけど、このメンバーでバンドを続けたいなって思うようになって自然と上を目指すようになりました。当時大学生で、進路を考えるとそれなりの成果を出さなきゃいけなかったけど、かといってオーディションを受けまくるってわけでもなく、このメンバーできちんとやっていけば何かにつながるだろうと思って…。 ――そこから事務所と契約をして、プロになると覚悟を決めた瞬間は? ひなんちゅ: 親に反対されたときですね。小学校からお受験をしていましたし、就職は商社や銀行に入らなきゃ! みたいな教育方針のもと育てられていたんですよ。それに反発して、家出したんです、東新宿の中華料理屋に(笑)。 ――東新宿の中華料理屋? 住み込みのバイトで? ひなんちゅ: じゃないんですけど(笑)。でも、そのときに「親がいなくても生きていかなくちゃいけない」って思ったし、自分のやりたいことをやって、親を見返そうって、バンドで生きていく覚悟を決めました。19歳のときですね。

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