「下人の行方は、誰も知らない。」 芥川初期の短編であり、現代文の教科書にも掲載されている『羅生門』の有名すぎると言っても良いラストシーンだ。 でもどうして下人の行方を、誰も知らないんだろう?

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「ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨止みを待っていた」 芥川龍之介(1997)『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇』, p9, 文藝春秋. 『羅生門』とは?

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国語論集 国語論集 (12), 143-150, 2015-03 Hokkaido University of Education

「下人の行方は、誰も知らない」のはなぜ?――芥川は下人を突き放した|Opium|Note

芥川龍之介の羅生門のラスト。 「下人の行方は誰も知らない」 と、ありますが、これは何を示しているものなのですか。他の部分は考えれてみればなんとか理解できたのですが、最後のところはどうしても考えが まとまりません。 よろしくお願いします。 文学、古典 ・ 46, 824 閲覧 ・ xmlns="> 50 ベストアンサー このベストアンサーは投票で選ばれました 「下人はその後、こうなりました」と起承転結を明確にすれば、「下人個人の物語」となってしまいます。 しかし「羅生門」は、下人個人の物語ではないと考えます。 この作品で芥川は、下人の心理の動きを追い、彼がさまざまな気持ちの中を揺れる姿を描写していますが、しかしそんな下人を、いつか「読者自身、そうして自分自身」に置き換えているのです。 すべてを失い、どこにも生きていくあても無い。自分はこのまま生きていっても、おそらく餓死するだけだろう。もはや盗人として生きていくしかないのか。 そこで芥川は、「そんな場面で、読者であるあなたはどうするのだろうか?私自身はどうするのだろうか?」と、問うのです。 強盗となり、いつかはどこかで切り殺されるかも知れないし、心を入れ替え、どれほど苦しくても、まっとうに生きていく道を選ぶかも知れない、結局は餓死するかも知れない、どうなのだろう? 【高1・現代文】羅生門下人のその後の行方について【想像】 - 高校1年です。現... - Yahoo!知恵袋. もし質問者さんが下人だったら、その後どうしたでしょう? だからこそ、「誰も知らない」なのです。 これは下人個人の物語ではなく、選択肢が無数に潜む、人すべての物語だからなのです。 41人 がナイス!しています その他の回答(1件) ちなみに……の話ですが、はじめは「下人は闇の中へ消えて行った」だったそうです。それを書き改めたのがいまの「羅生門」です。 下人のような気持ちや考えはだれの心にも潜んでいるが、だれもそれをはっきりとは意識しないで(つまり「知らないで」)生きている……という解釈も成り立つのではないか? と僕は考えています。 4人 がナイス!しています

ベストアンサーに出来なかった他の方々も本当に回答ありがとうございました!! 羅生門の問題です下人が(老婆の答えが存外、平凡なのに失望した... - Yahoo!知恵袋. お礼日時: 2010/6/6 20:09 その他の回答(4件) 黒洞々たる夜を歩く下人は、自分が発熱しているのに気づいた。やがて咳き込み、全身の関節が痛んみはじめた。羅生門で老婆と問答しているあいだに、疫病をうつされたらしい。下人の足取りは重くなり、夜があける頃には、通りの家の軒下にうずくまっていた。やがて意識は朦朧とし、遠くなっていった。 朝になると、家の住人が眼を覚まして、家の前に倒れている下人に気づいた。住人は「この男はもう死ぬだろう」と下人を羅生門のところまで運び、そこに捨てた。下人は微かな意識で、自分が羅生門の死体の群れのなかに横たわっていることに気づいた。そして、白髪頭の猿のような老婆が今、自分の身体を探り、そして衣服をゆっくりを剥ぎ取っていく、その感触だけが脳裏に広がっていった。 15人 がナイス!しています だれも知らない、ということで私達に下人のこれからをたくされたと考えていいですよね。 私は、その後下人自身盗人に襲われ、一生を終えたと考えます。 2人 がナイス!しています 「だれも知らない」ということは、「だれもが知っているから書く必要がない」ということで、下人とは、読者のことでもあり、自分(芥川)自身のことでもある、と言っているのだと思います。 1人 がナイス!しています あれ?もしかして日比谷生? 補足に対して そうでしたか。勘違いしてすいませんm(__)m ちゃんと回答しますと、下人の行方のことですが、ただの悪人(羅生門に棄てられるような)になってしまったと思います。 そして、あなたのいうように、その悪事が原因で下人は死んでしまい、羅生門に棄てられる。 みたいな感じでは?? また、芥川の書き直した意図ですが僕の学校では、芥川は下人が悪人になってしまう過程を本作の主題にしたかった為、こだわった。とならいました。 1人 がナイス!しています

比喩表現が巧みだった! 『羅生門』ってなんでこんなに有名なんでしょうか。もちろん、教科書にも載っていて結末(オチ)も面白いのですが、どうやらそれだけでもなさそうです。 次の文章を見てみてください。少し 不思議な表現 に気がつきませんか? 「羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである」 注目してほしいのは、この「 市女笠や揉烏帽子 」という部分です。 この市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)ってなんのことだか分かりますか? 「下人の行方は、誰も知らない」のはなぜ?――芥川は下人を突き放した|Opium|note. これは、平安時代の女性や男性の 被り物 のことです。 こんな感じのやつですね。 市女笠が女性 の、 揉烏帽子が男性 のかぶり物になります。 話を元に戻しますが、ここでの表現(「市女笠や揉烏帽子」)というのは実は 比喩表現 となります。 それって比喩なの ?と思うかもしれませんが、例えるなら「おいそこのメガネ!」と言うのと同じですね。物を指しているにも関わらず、それを着けている 人について言及 しています。 比喩といえば「見ろ、人がゴミのようだ! (某大佐)」のような 直喩 や「お前はゴミだ! (ただの暴言)」のような 隠喩 が一般的です。 「おいそこのメガネ!」のような比喩は 換喩 といい、一般的には使われることの少ない比喩ですので 高等テクニック だと言って良いでしょう(「花より団子」なんかもそうですね)。 そうした 換喩 を芥川龍之介はさらっと使い、しかも読者にほとんど違和感を残しません。 そうした小技が作品の随所に見られ、結果的に 作品全体の質 を高めることに繋がっています。 ・下人はどこにでもいる普通の人なんだと思う 職を失って、明日から食べるものもない。もしこういう状況になったら あなた はどうするでしょうか?

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