「雪の道しるべ」 当初はもっとぬるい温度の歌詞を書いていたんです。でも、結局、観念的になってしまい、ほとんど新たに書き直しました。 〈私に振り向いた影が 笑っているのだけわかった〉というところがお気に入りです。本当は影だけじゃ笑っているかどうかまでは分からないはずですが、それが影だけでわかるのがいいなって。〈愛している〉も〈会いに行く〉も、世界中で歌われている表現ですが、文脈や用途でも変わってくるし、一曲一曲、全て違う。 言葉だけだと平易と思える描写も、メロディやサウンド、歌い方を伴うことで全く変わるという好例のような曲ではないでしょうか。 5. 「NIKE 〜The goddess of victory」 プロデューサーからの「ギリシア神話をメタファーにしたような詞、書けないかな?」というお達しから、サムトラケのニケを思い描きました。昨年(2019年)の全日本スキー連盟のイベントで披露したスノーエリートたちへの壮行曲です。 ちょうどシングル「深海の街」と同時期に制作していたこともあって、アレンジはジャジーなポップロックのテイストに則っています。 〈あの丘〉のイメージはオリンポスの丘。勝利の女神はいつも「おいでおいで」と手招きをするけれど、それはあくまで片道切符。あとは何の責任も負わない。アスリートでもショウビジネスでも、神に恋して、一度でも栄光を手にした者は決して引き返せない。勝利の女神との契約とは一方で悪魔の契約なのかもしれません。 6. 春よ、来い / 松任谷由実 ギターコード/ウクレレコード/ピアノコード - U-フレット. 「What to do? waa woo」 昔から私のソングライティングのスタイルはメロディ先行型ですが、この曲と「REBOON 〜太陽よ止まって」は、プロデューサーが打ち込んだループのトラックからほとんど出来ています。サビの〈What to do? waa woo waa woo waa〉というコーラスもトラックのみの時点で入っていたものです。 実は、"トラックありき"という作り方が本当に出来るのかどうか、最初はかなり不安でしたが、それが出来る回路も掴み取りたかったので。 自粛期間明けのタイミングで愛用の電気自転車に乗ろうとしたら、干からびたような状態でパンクしていたので新しい一台を買いました。それも作用して、プロデューサーからの「自転車の歌にすれば?」という提案に乗りました。 自動車免許を持っていない私にとって電動自転車は重要なライフライン。 自転車って何かの思いを振り切るように漕ぐ乗り物だと思いませんか?

  1. 春よ、来い / 松任谷由実 ギターコード/ウクレレコード/ピアノコード - U-フレット

春よ、来い / 松任谷由実 ギターコード/ウクレレコード/ピアノコード - U-フレット

淡き光立つ 俄雨 いとし面影の沈丁花 溢るる涙の蕾から ひとつ ひとつ香り始める それは それは 空を越えて やがて やがて 迎えに来る 春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする 君に預けし 我が心は 今でも返事を待っています どれほど月日が流れても ずっと ずっと待っています それは それは 明日を超えて いつか いつか きっと届く 春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く 夢よ 浅き夢よ 私はここにいます 君を想いながら ひとり歩いています 流るる雨のごとく 流るる花のごとく 春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする 春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く 春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする 春よ まだ見ぬ春…

1. ユーミン 春 よ 来い 歌迷会. 「1920」 今年の5月、私の母が百歳を迎えました。調べてみると100年前の1920年(※大正9年)とその前後の頃に、スペイン風邪、アントワープ・オリンピックなど、2020年との共通項が幾つも見つかり、そこからイメージが広がりました。ベル・エポックを経て大恐慌が起こる前夜の、言わば"狂騒の20年代"です。 歌詞に〈ギャツビー〉が登場していますが、フィッツジェラルドの『楽園のこちら側』(1920年)が以前から好きでした。ベースとキーボードという二つの楽器のみの演奏ですが、無心で聴いていると冒頭のディレイで脳を刺激されて、音の隙間、つまりは"行間"からたくさんの情報が読み取れました。すぐに〈アネモネ色〉が見え、〈振り子時計〉の音が聴こえてきました。 自分が存在しなかった時代を見てきたかのように描く。そんな行為に自分を追い込むことで、新たな扉が開きました。 2. 「ノートルダム」 「1920」と「ノートルダム」。この2曲を書き上げた時、アルバムの全体像に明確な手応えが感じられました。ディストピアとユートピア、天使と悪魔が同居しているようなノートルダム大聖堂は昔からお気に入りの場所でした。 しかし、去年4月、火災で焼失してしまったニュースを観て、深い悲しみを感じたのと同時に不安な、何かこの世の結界が壊れるような予感がしました(余談ですが、首里城の火災もです。) 無論、今回のコロナ禍も反映されています。フランスのコロナの状況(11/1現在)にも、なお胸を痛めています。パリはとても好きな街なので、また早く自由に歩けるように。そんな願いも込めてこのタイトルを付けています。早くまた、あちこち旅ができるといいですね。 曲は早い段階で出来ていたのですが、歌詞をプロデューサー(松任谷正隆)のリクエストで2、3回書き直し、制作期間の終盤に完成しました。ヨーロッパが喪に服しているような情景。特に〈重なる白骨を引き離すとき 砂になって崩れる〉という歌詞は究極のロマンティシズムとして気に入っています。 本当の意味でのゴシックな描写を落とし込んだ、あまり類を見ないポップスを書けたという自負がある、アルバムの中でも一、二を争うお気に入りのナンバーです。 3. 「離れる日が来るなんて」 最初に書こうとしていたのは「大晦日の歌」でした。大晦日、雪が降った後の澄み渡った空の下、ぽつねんとしているようなイメージでした。 〈白い息が消える空 明(さや)けく星の光〉という部分が気に入っています。〈明(さや)けく〉という言葉が好きで、どうしても使いたかったんです。当初、ここは出だしにあったのですが、プロデューサーと「青春のインパクトが感じられるようなフレーズで始めたいね」と相談しているうちに、〈離れる日が来るなんて〉という歌い出しが浮かんできました。 〈いつか見た映画〉という要素もプロデューサーからの提案でした。「月並みなのでは?」と思いましたが、月並みと普遍は紙一重、上手くハマりました。偶然にも「ノートルダム」の二人の結末のようにも感じ取れる物語となりました。 4.

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