●70年代の日本を震撼させた「青酸コーラ無差別殺人事件」による自販機ジュースの変遷とは?

  1. 特集:グリコ・森永事件
  2. 『キツネ目 グリコ森永事件全真相』(岩瀬 達哉)|講談社BOOK倶楽部
  3. タイプライターとワープロが生んだ脅迫状の進化 |

特集:グリコ・森永事件

進化する「脅迫状」 朝日新聞に送られた「みずほ銀行創設者」への脅迫状(1921年) 日本の探偵小説やSFの開祖である海野十三(うんのじゅうざ)の作品には、たくさんの脅迫状が出てきます。 たとえば闇成金の苅谷勘一郎氏のもとに烏啼天狗という奇賊から送られた脅迫状はこんな感じ。 《脅迫状。拝啓、来る11月11日を期し、貴殿夫人繭子(まゆこ)どのを誘拐(ゆうかい)いたすべく候間お渡し下されたく、万一それに応ぜざるときは貴殿は不愉快なる目に遭(あ)うべく候。右念のため。草々敬具。烏啼天狗生拝》 この慇懃な脅迫状は「真蹟」と書かれてるので、手書きだということがわかります。見方を変えれば、脅迫状は一種の手紙だともいえるわけです。 718年に制定された「養老律令」には「脅迫罪」が規定されているので、脅迫自体は古代からあったことがわかります。 ではいったい最古の脅迫状は何か? これは調べたんだけど、さすがによくわかりません。そこで近現代の例を見てみると……。 幕末に来日したジョン・レディ・ブラックの『ヤング・ジャパン』には、殺された井伊直弼の後に老中となった安藤対馬守(安藤信正)の邸宅の門に、脅迫状が貼られたと記録されています。1861年8月17日のことで、実際、半年後に安藤は浪士から襲撃を受けています。 脅迫状に書かれた内容はよくわかりませんが、ただ、この場合はテロの宣言みたいなもので、一般的には脅迫状ではなく斬奸状(斬姦状=ざんかんじょう)といいます。 たとえば大久保利通暗殺の斬奸状には、 「公議を杜絶し、民権を抑圧し、以て政事を私する。無用の修飾を主とし、国財を徒費する。慷慨忠節の士を疎斥し、以て内乱を醸成する」 と書かれています。 また、現在のみずほ銀行や損保ジャパン、明治安田生命保険を創設した安田善次郎への斬奸状には、 「巨富を作すと雖(いえど)も富豪の責任を果さず。国家社会を無視し、貪欲卑吝にして民衆の怨府(えんぷ)たるや久し……」 と書かれています(冒頭の写真)。 考えてみると、こうしたテロの話をのぞくと、脅迫状(=手紙)というのはかなり個人的なものなので、なかなか記録に残らないものなのかもしれません。 脅迫状といえば誘拐を思い浮かべますが、実際の事件ではどうだったのか?

時効が成立したため、真相はわかりませんが、社会一般まで巻き込んだ重大事件で、今後も語り継がれるべき事件だと思います。 犯人は何度も現金を要求しましたが、一度も姿を現さないことや、森永製品に青酸ソーダを混入しても、わざわざ分かりやすく、ご丁寧に毒入りシールを貼っていたことで犠牲者が出なかったりと、犯人の目的が全く分からない事件でした。 その他に数々の陰謀説も出ています。 実際に誘拐された江崎グリコの江崎勝久社長は、事情聴取中に会長と密談したあと、急に口を閉ざしたとされています。 全ての事件の時効が成立したため、真相は分かりませんが、態度が急に変化したため、犯人の顔も見ているはずですし、私は江崎勝久社長が事件の秘密を握っているような気がしてなりません。 そしてこの事件は、犯人を追い詰めて取り逃すこともあり、警察は本当の犯人はすでに分かっているのに、わざと演じているのではないか?と警察の茶番だとも言われました。 真相は分かりませんが、一般社会も巻き込んだ重大事件なので、警察の茶番ではないことを願います。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました! スポンサーリンク

『キツネ目 グリコ森永事件全真相』(岩瀬 達哉)|講談社Book倶楽部

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タイプライターとワープロが生んだ脅迫状の進化 |

詳細 3月18日、グリコ社長が兵庫県西宮市の自宅で誘拐され、身代金を要求する脅迫状が届いたのがこの事件の始まり。犯人側は「かい人21面相」を名乗りながら丸大食品、森永製菓などに脅迫状を送り付け、青酸混入の菓子をばら撒いて不安をあおった。警察は捜査の過程でマークしていた「キツネ目の男」に接近しながら取り逃がしたり、追跡車両を見失ったりした。結局、一連の事件は時効となり、広域事件に対する捜査に問題を残した。 主な出演者 (クリックで主な出演番組を表示) 最寄りのNHKでみる 放送記録をみる

キツネ目の男 1984年3月、 江崎グリコの社長が、目出し帽を被った3人組の男たちに自宅から連れ去られるという誘拐事件が発生した。 当時の日本列島を震撼させたグリコ・森永事件の始まりである。 犯人グループは10億円と金塊100キロを要求する脅迫状を送りつけるが、誘拐された江崎社長は自力で脱出。 事件は解決に向かうと思われた。 しかし、犯人グループは「かい人21面相」と名乗り、 グリコだけでなく、森永製菓やハウス食品など食品メーカーを次々に脅迫。 犯行は次第にエスカレートし、 「どくいりきけん たべたらしぬで」と書いた青酸入りの菓子をスーパーに置くなどして、 「大量流通・大量消費社会」を人質にとる前代未聞の展開を見せた。 犯人は企業だけでなく、メディアにも140通を超す脅迫状や挑戦状を送り付け、 国民を巻き込んだ「劇場犯罪」の走りとなった。 のべ130万人もの警察官が投入されたにもかかわらず、2000年2月全面時効が成立した。 真犯人をめぐって、さまざまな説が取り沙汰されたが、 そのどれもが確証を得るものではなく、2011年現在、犯人の行方は分かっていない。

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