吉川 あみ(よしかわ あみ) ライフデザイン学部健康スポーツ学科 1年 2017年、第37回三笠宮杯全日本ダンススポーツ選手権大会にて、ラテン部門優勝、スタンダード部門準優勝。 藤井創太(ふじいそうた)選手とカップルを組み、活動を行っている。 大西 大晶(おおにし ひろあき) ラ イフデザイン学部健康スポーツ学科 1年 2017年、第37回三笠宮杯全日本ダンススポーツ選手権大会にて、ラテン部門3位、スタンダード部門3位。 幼い頃から妹の大西咲菜(おおにしさきな)選手とカップルを組み、活動を行っている。 ヒップホップでもストリートダンスでもない、「競技ダンス」との出会い —お二人は、どのような形で「競技ダンス」と出会ったのでしょうか? 大西 「うちは、 両親が全日本のラテンダンスチャンピオン なんです。大会について行ってダンスを見ているうちに、小さい頃から自然と父親の真似をしていました。見よう見まねでポーズを決めてみたり(笑)。しっかり習い始めたのは、小学1年生の時からです。」 吉川 「家の近くにダンス教室があって、そこでダンスを習っているはとこに勧められて始めました。実は、始めは社交ダンスとは全く思わず、 普通にヒップホップとかかなと勘違い していて……。軽いノリで見学に行って、とりあえず始めてみたのが5歳くらいの時です。」 画像:ライフデザイン学部健康スポーツ学科の吉川あみさん —お二人とも、ダンスとの出会いは全く違うのですね。初めから、日本や世界のトップを目指そうと思って練習してきたのですか? 大西 「親がプロというのもあって、きちんと練習はしていましたね。本格的に上手くなりたいと意識し始めたのは、大きな大会に出場した小学3年生の時です。 その大会には、日本人だけでなく様々な国から選手が出場していました。ものすごく上手い選手がたくさんいて、同い年でもこんなに実力が違うんだとショックでしたね。そこで 『もっと上を目指したい、この人たちと一緒に戦いたい』 と思ってから、意識が大きく変わりました。」 吉川 「私は、初めは普通に習い事で週1、2回くらい。出来なかったら柱の影に隠れたりしてやらない、みたいな子だったんです。それからはずっと、普通に友達に会いに行くくらいの気持ちでやっていました。 小学6年生の時に、海外の試合に出場する機会があって、私もそこで海外の選手たちのダンスを見たのがきっかけです。」 動画:第37回三笠宮杯全日本ダンススポーツ選手権 藤井創太・吉川あみ組(敬称略)のサンバ —海外の選手を見て、本格的にトップ選手を目指そうと意識し始めたとのことですが、海外と日本では、やっぱり実力に差があるのでしょうか?

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高校を卒業して専門学校に行ったんです。スポーツ系、社会体育系ですね。その学校の授業にエアロビクスがあったという…それだけなんです。 やりたかった訳ではなく? 全く、やりたかったどころか。必須だったので仕方なく…。 実はすごい素質を持っているとも知らず(笑)。競技としても意識はしていなかった? 無いです無いです。それどころか…その学校への進学が決まったとき、授業にエアロビクスがあるらしいぞ、嫌やなぁって話をしてたんです。 日本に入って来たばっかりだったので、やっぱりレッグウォーマーにハイレグのお姉ちゃんというイメージがあって、なんで男がやらなあかんねん、っていう。 まだそういう時代だったんですね。競技として出てみようという、きっかけは? 専門学校の終わりぐらいなんですが、先輩がエアロビクスの大会に出て全国大会で3位になったと。それまで男のエアロビクスを見たことがなかったんですけど、これだったらカッコいいな、出てみたいなと思ったのが最初ですね。 超新米なのに日本一のインストラクター インストラクターを始められたのは? 学校を卒業してから運動不足になって来て。ある日パチンコで勝ったお金で友達とスポーツクラブに入会して、何回か行っているうちに、インストラクターやってみないかという話になって。1年くらいで辞めるつもりで始めたんです。 軽い気持ちで。 アルバイト感覚で。ところが…9月にインストラクターとしてデビューして、その年の12月に大会出たら優勝したので、辞めるに辞めれなくなって。 競技で優勝しちゃったとなると、そう見られますよね。 そうそう、まだ始めて3ヶ月の超新米なのに…日本一のインストラクター。レッスン受けにくる人もそう見ていて、いやいや俺まだ新米やねんけど…。それはすっごく苦労しました。 やっと苦労話が聞けました(笑)。競技とレッスンはまた別物ですか? そういう意味では違いますね。レッスンはダイエットのためとか健康のためとか、目的のためにプログラムされていて、生徒さんをリードして行って成り立つもの。ただ、スタジオの45分と競技の1分半が別物かって言うと、出力を大きくして表現しているだけなので、やっていること自体は同じという感覚です。少なくとも僕の中では。 エアロビックの発祥 元はケネス・クーパーが提唱した、心拍数をどんどん上げて行って、維持して、落として、というのが心肺機能を高めますよ、という理論なんです。 それをダンスの中に取り入れたのがジャッキー・ソレンセン。そして女優のジェーン・フォンダがブームを作って広めた。ジェーン・フォンダの功績はすごく大きいですね。 当初はハイインパクト、つまり大きな負荷の掛かる動きが中心で、現在は負荷の小さいローインパクトを中心とした動きが一般的です。 笑顔の方が得点が高い?

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